石垣を見て歩いているといろんな積み方、石質に気づきます。それらの中に周りよりひときわ大きな石を用い積んだ石垣を見過ごしてはいませんか。和歌山城一中門跡や同天守二ノ門(楠門)に見られるこの大石を「鏡石(かがみいし)」と言います。

 領主の威厳や格式を大きいもので表した時代に、石垣にも大石を用いました。本来、鏡石は災いなどの悪気(あっき)を、大鏡のような石で払いのけるために置かれたのが始まりと言われています。お城では、重要な門の石垣などに置き、大きな石面でにらみを利かして、権力を示す心理的効果を狙ったと考えられます。その大石は、複数を積み重ねたり、立てたりした(立石)例も多く、すでに戦国時代から見られますが、中には、等間隔に並べたり、石に加工が施されたりして、目を和ませてくれる鏡石も見る事が出来ます。

 一中門の石垣に組み込まれた「鏡石」は、大手門を潜(くぐ)って、石垣に沿うとやがて右に曲がります。その正面(2018年2月17日号図参照)にあります。ただ、積まれた石質が砂岩と花崗斑岩との境目に近く、しかも鏡石が黒ずんでいるため見えづらく、花崗斑岩の隙間なく積まれた切込接(はぎ)の石垣にどうしても目がいってしまいます。

 天守二ノ門(楠門)の鏡石は、門を潜った正面に複数積まれているのですが、「和歌山城沿革」の碑で少し見づらくなっています。大きさから言えば、一中門の方が鏡石にふさわしく見えますが、割ると細かく裂けるのが特徴と言われる緑泥(色)片岩を考えれば、大きく割り残すすぐれた技術を自慢しているように映って見えます。

 大坂城をはじめ、他城では考えられないほどの大石を見ることが出来ます。しかし、それらの厚さは板状のように薄く、裏側に支えの石垣が確認されている例もあります。厚みのない石を、いかに奥行きのある大石に見せて積むか、当時の石工たちの腕の見せどころだったのではないでしょうか。

写真上=一中門の鏡石/同下=楠門の鏡石

(ニュース和歌山/2018年3月3日更新)