和歌山城天守へは、表坂・裏坂の2ヵ所が往時の登城口で、新裏坂は大正時代の初め、当時国宝だった天守への近道として敷設された新道です。今はいずれの坂道から天守を目指しても、石段はあっても前方を妨げる建物はありません。しかし、往時はいくつもの城門が行く手をはばみ、天守までは容易に近づくことが出来ませんでした。
「大手門」から城内に入ると、まず本丸と二ノ丸への玄関口に当たる「一中門」(2月17日更新「四方塞ぐ恐怖の虎口」参照)が立ちはだかります。一中門からは表坂を登って天守を目指します。幾重にも屈曲する急坂を登り切った所に「松ノ丸門」がありました。その門の東側(左)に二層の松ノ丸櫓があり、西側(右)は、東西に細長い松ノ丸が続き、西端に本丸への道をふさぐ「本丸表門」がありました。籠に揺られて登城の殿様も、ここから先の急坂は歩いたと言われています。その急坂はほぼ直角に右に折れ、さらに右に曲がります。その中ほどにあった「中門」という小さな門までの空間は、石垣と城門で囲まれた桝形構造になっています。
中門の先は、東に「本丸御殿門」、北に「本丸裏門」、そして西に「天守一ノ門」が構えていました。これらの城門を閉じれば、ここもまた、完全に閉鎖された桝形空間になってしまいます。万一敵が攻め登って来ても逃げ場がなくなってしまう恐怖の桝形空間なのです。つまり本丸(本丸御殿・天守)へは連続する桝形空間を通り抜けなければなりませんでした。そのうえ天守への入口となる天守一ノ門は今は柱の土台であった礎石を残すのみですが、往時は大きな壁となり立ちはだかっていました。この厳重な城門まで大手門から6ヵ所の城門を通過してようやく天守に近づけたのです。
天守一ノ門をくぐると、天守下ノ段と呼ばれる広場に通じ、頭上にそびえ立つ天守の姿が間近に見え、天守まではもうすぐに思えますが、そうたやすく近づけない工夫がまだまだありました。
写真=上=天守一ノ門跡/下=本丸表門跡
(ニュース和歌山/2018年6月16日更新)