脳出血から1年、言語障害は徐々に回復していった。そんな時、主治医に勧められ、診療所で開かれた納涼祭で50人を前に『テネシーワルツ』を歌い上げた。ステージを下り、3歳になった娘からの「ママ、上手だったよー」の言葉に、うれし涙が止まらなかった。
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このころから理学療法、作業療法、言語療法と全てのリハビリに一生懸命取り組むようになりました。人前で歌ったことが自信になったんだと思います。
もう一つ、私の心の支えになったのは、娘の成長でした。4歳になったころのこと。大阪の大型商業施設にあるフードコートで注文を済ませ、料理ができるまでの間、私は一人、車いすで席を探していました。すると幼い娘が店員さんに何やら話しかけています。「あのね、ママは体が悪いので、座るところ、一緒に探してください」。優しさに涙があふれ出しました。
6歳になったころには、私が車から降りようとすると、小さな肩をそっと差し出してくれるようになりました。いつも夫がしてくれているのをしっかり見ていたんだと思います。「この子のために頑張らなくっちゃ!」。何度も励まされました。
娘に力をもらいながら月日は経過。2013年6月、CDの制作を思い立ちました。「私と同じ脳の病気を含め、様々な病気と闘っている人、そして全ての人が前向きになれるように」との思いからです。
『ナイト・アンド・デイ』などお気に入りのジャズ4曲に加え、ジャズ調にアレンジした『上を向いて歩こう』を収録。発売した11月には記念ライブを行いました。駆けつけてくれた友人からもらった言葉「あなたの歌は『大丈夫、こわくないよ』と勇気づけてくれる」は大事な宝物です。
写真=娘が小学1年の時。バレエの発表会を終えて
(ニュース和歌山/2018年11月28日更新)