「明治四十一年」(一九〇八年)との裏書がある新堀川の写真です。『紀伊国名所図会』には「堀留眺望」として描かれている新堀川ですが、明治期の風景を確認できる写真は珍しいと言えるでしょう。
紀伊徳川家初代頼宣の時代、吹上に新しく武家地を開き、城の南側の外堀として開削されました。 吹上地区への物資の運送に重要な役割を担っていました。写真からも運河として活用されていたことがわかりますが、大正十二(一九二三)年までに埋め立てられました。
古書肆紀国堂=和歌山市ト半町38=店主の溝端佳則さんのコレクションを紹介します
(ニュース和歌山/2019年1月19日更新)