言語障害を乗り越え、今度は急性骨髄性白血病に襲われた。しかし、「今は不治の病ではない」との医師の言葉を胸に、再び病と闘う決心をし、抗がん剤投与が始まった。

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 カテーテルで入れる抗がん剤は想像以上の苦しさでした。吐き気がする、40度以上の高熱が出る、髪の毛とはおさらば、身体全体には発疹(ほっしん)…。そんな毎日、思い出すとゾッとします。

 何よりつらいのは、娘に会えないことでした。当時、娘は小学4年。はしか、水ぼうそうなどにかかりやすい15歳までは、私がいる無菌室に入ってきてはダメなんです。「娘に会いたい…」。毎日、娘の顔を思い出していました。

 1日1回の電話は欠かしませんでした。「きょう、学校どうだった?」。たわいのない会話が大切な時間でした。白血病は遺伝性の疾患ではなく、親から子どもに伝わることはないそう。それを聞いた時は安心しました。

 抗がん剤は1週間、投与します。その後、1ヵ月ほど正常な細胞の回復を無菌室や準無菌室で待つのです。

 つらい時間を過ごした後は1週間〜10日程度、一時的ではありますが退院できます。私はこの退院を〝まやかしの退院〟と呼んでいましたが、それでもとてもとてもうれしい時間です。娘に会えるし、おいしいものが食べられる(笑)。医師からOKをもらい、娘、夫、私の3人で、伊勢志摩へプチ旅行へ行ったこともありました。

 しかし、その後はまた入院、そして抗がん剤治療…。この繰り返しです。そんな私を支え、心のより所になったのが、大好きな言葉「神様は乗り越えられる試練しか与えない」でした。

写真=〝まやかしの退院〟中に出掛けた大阪で。髪の毛が抜け落ちたため、かつらをつけていました

(ニュース和歌山/2019年2月27日更新)