急性骨髄性白血病の治療を乗り越え、ステージに戻ったさつき。東京、大阪、そして和歌山での復帰ライブを成功させた。

… … … … …

 脳出血、そして白血病。大病からの復帰ライブを2回も経験した人はあまりいないと思います。1度目はライブをすることだけで一杯一杯で、歌いながらうれしさで泣けてきました。2度目はステージ上では涙は流れませんでしたが、舞台を下りた後、あふれ出ました。開催までくじけそうになる中、大勢の人に愛をいただいたから。

 40歳までは自分自身でまいた種が原因で、うれしくない小さなことがたくさんありました。その後、運命にもてあそばれたか、42歳、脳出血で障害を持ちました。このころを思い出すと涙が出ます。右手、右足が思うように動かない中、必死で幼い娘の面倒を見ました。夫、母、兄弟、周りの人に助けてもらいました。ひとつだけ悲しかったのは、娘を抱きあげられなかったこと。今は抱きしめまくりで、娘は半分嫌がっています(笑)。

 50歳、今度は白血病に。人間の細胞は37兆個。その人体の要となる血液のがんの一つです。娘に会いたい、何が何でも生き抜くんだと信念を持っていたのに、時には心が折れ、自暴自棄に陥ったこともありました。でも、皆様のお心遣いで乗り切れました。皆さん、再発しないように祈っていてくださいね。

 脳出血からの退院時、利き腕じゃない左手で化粧した顔を見た夫は「落書きしてるみたい」と言いました(笑)。白血病になった時、私の坊主頭を見て、夫と娘は「一休さんみたい」と言いました(笑)。家族が遠慮なく、ユーモアを交えて接してくれる時、私は「愛に包まれ生きている」と実感します。

 今、だいたいの日、私は元気です。マヒが残る右手と右足は不自由で、話すのもまだ滑らかではありません。でも、ジャズを歌うことが大好きです。ジャズという音楽にありがとう。そして娘と夫にありがとう──。私のこころはいつも自由です。

写真=これからもジャズを歌い続けます

(今回で終了します)

(ニュース和歌山/2019年4月10日更新)