今回取り上げる質問は、和歌山市の楫本成子さんから届いた「茶がゆを食べる人は今も多い?」。

 全国的に多いのは「白かゆ」ですが、和歌山では昔から番茶やほうじ茶で作る「茶がゆ」が「おかいさん」と呼ばれて親しまれてきました。テレビ番組で郷土料理として紹介されることも多いですよね。

 今も食べられているのか、そもそもなぜ和歌山に根付いたのか? 普及した背景には、五十五万五千石を誇った紀州藩時代を生きた庶民の工夫がありました。

 


 

紀中を中心に食べられている

 「茶がゆを食べる人は今も多い?」。茶がゆ用ティーバッグを扱うぶらくり丁の番茶屋、木村圭一社長に聞きました。「発売から60年以上がたちますが、今も人気で、茶がゆ関連商品はよく売れています。40代以上に支持されていて、通販では県外に嫁いだ方からの注文が多いですね」。今も食べる人が多いのは間違いありません。

 では、なぜ茶がゆが愛され続けているのか。その歴史を調査した和歌山信愛女子短期大学の堺みどり教授は「江戸時代、紀州藩による厳しい米の取り立てに対する庶民の工夫」と見ます。

 紀州藩は山林が8割を占め、耕地が少ないにもかかわらず、農民は多くの米を納め、貧しい生活を強いられていました。「一時的でも空腹を満たすため、水分を多く含んだかゆにして食べた。たくさん食べられるよう、茶を入れ、その香りに頼った。今も、湯浅や有田の紀中地方を中心に食べる習慣が残っています」

 木村社長によると、茶がゆは冷やすとのどごしがよく、茶がゆ関連商品は冬より夏によく売れるそう。おいしく食べるコツは、炊いた後、米と汁に分けて、汁をキンキンに冷やすこと。一度、お試しあれ。

(ニュース和歌山/2019年6月22日更新)