今回は和歌山市の瀧口珠美さんから届いた「和歌山市の永山と紀の川市貴志川町の長山は隣りあっていますが、元は1つの村だったのでしょうか?」という疑問を調査します。

 同じ読み方、でも使っている漢字は違う…確かに場所が離れているなら気になりませんが、隣り合う地域となると気になりますね。

 果たして、元々は1つの村だったのか、もしそうなら、なぜ分かれてしまったのか。
 紀の川市生涯学習課の岩田英樹さんに聞いてみました。

 


 

1つの村が2つに分かれた

 「和歌山市の永山と紀の川市貴志川町の長山は隣りあっていますが、元は1つの村だったのでしょうか?」。紀の川市生涯学習課の岩田英樹さんに話を聞くと「和歌山の歴史をまとめた『紀伊続風土記』に、2つの〝ながやまむら〟について書かれています」と教えてくれました。

 その記述を読んでみると「那賀ノ郡貴志ノ川長山村と境を接す舊(きゅう)は一村なり分かれて二箇村となり文字をかへて混ぜさらしむ」とあります。つまり、元々は1つの村だったのが、この本が書かれる1839年より前は2つの村に分かれていたようです。

 ただ、分かれた理由や時期について、この『紀伊続風土記』では触れられておらず、永山、そして長山周辺の寺や神社に聞き込みをしましたが、知っている人はいませんでした。これらをご存知の方がいたらぜひ教えてください。新しい情報が入りましたら、続編として追加取材いたします。

(ニュース和歌山/2019年11月9日更新)