鏡山から現和歌浦南2丁目方向を写した写真です。

 このあたりは江戸期には塩田として利用されていましたが、この時期は一面葦(あし)が茂る湿地でした。市町川(いちまちがわ)とを隔てる細い堤防は不老橋の近くから現曙橋付近まで続いていました。隣の奠供山(てんぐやま)にあったエレベーターの頭がのぞいています。遠景の章魚頭姿山(たこずしやま)のふもとは山肌の露出が目立ちます。

 「新和歌の浦とかいう禿げて茶色になった山」と漱石は『行人』に書きました。

写真=現在、樹々に眺望は阻まれている

 紀国堂店主の溝端佳則さんのコレクションを紹介します。

(ニュース和歌山/2019年11月9日更新)