今回の質問はまりママさんから届いた「大浦街道を南進すると、業務スーパーを過ぎた所にあるバス停が『栗栖』となっていて違和感があります。和歌山市で栗栖といえば、東署や和歌山インターチェンジがある辺りですよね?」です。

 現地へ向かうと、和歌山工業高校と松下体育館の間にありました。「くるす」とかながありますので、漢字だけでなく、読み方も同じです。「だれかがイタズラで、栗栖から西浜まで運んできたのかと思ったり⁉」。そんなまりママさんの心配を解決すべく、調査しました。

 


 

新田開発のため栗栖から移り住んだから

 「大浦街道の業務スーパー南にあるバス停『栗栖』に違和感があります」。まず、和歌山バスに聞いたところ、「バス停は地名や近くにある施設名を使うのが一般的。栗栖も古い地名です」とのこと。確かに和歌山市のHP内「和歌山市の景観今昔」で明治後期や昭和初期、戦前、戦後の地図を見ると〝栗栖〟の文字が確認できました。

 ここで新たな疑問。そう離れていない場所に同じ栗栖がなぜ2つあるのか? 和歌山市立博物館の額田雅裕学芸員に尋ねました。江戸時代に紀州藩が編さんした地誌『紀伊続風土記』には西浜村の南西に「栗栖屋」の文字が載っており、「近年、名草郡栗栖村の者が人家をなせり」との説明があります。「この『近年』とは天保(1831〜45)のころのこと。新田開発のため、栗栖から移り住んだ人たちがそのまま留まり、西浜にも栗栖ができたんだと思います」

 違和感のあるバス停名、実はそんなご縁を今に伝えてくれていたんですね。

(ニュース和歌山/2019年11月16日更新)