今回の依頼は和歌山市のチロちゃんからの「和歌山城の石垣に記号や印がついているのは何?」です。

 和歌山城の石垣に彫り込まれた印は、三年坂から入る不明門近くの新裏坂北側に多く、左の写真のように案内板にも記され、表示されています。このほかにも城内の石垣をつぶさに見ていけば、見たこともない奇妙な記号を発見できます。確かに謎ですね。

 今春まで本紙で連載「ふるさと和歌山城」を担当した日本城郭史学会委員の水島大二さんにこの印がある理由を聞きました。

 


 

石工集団のはんこ替わり説

 「和歌山城の石垣に記号や印があるのは何?」。日本城郭史学会委員の水島大二さんに聞きました。まず「石に刻まれた印は刻印と言います」とのこと。

 1992年に調査した和歌山城郭調査研究会によると、お城で確認できた刻印は約140種2000個余り。〇や△をベースにした記号や、字とも絵ともつかぬ文様が大半で、新裏坂から北に積まれた石垣では約700個が見つかりました。

 さて、理由です。水島さんは「幕府の城の場合は、どこの場所をどの藩が担当したかを示すため印をつけました。私の推論ですが、和歌山城のような武将個人の城は、石工集団が命がけで取り出した石を運搬中に盗まれないよう、はんこ替わりに印を付けたのでは」と見ます。多くの城では同じ文様が同じ所にそろうことが多いですが、和歌山城の場合は同じ場所に様々な文様が混在するのが特徴的で、水島さんは「石を1ヵ所に集め、そこからばらばらに運び、積み上げていったのでは」と考えます。

(ニュース和歌山/2019年11月23日更新)