皆さんが気になる地名の謎。今回は和歌山市のマミーさんから届いた「湊の地名、昔から“御膳松”と言われていますが、その由来は?」です。
“御膳松”と呼ばれているのは、紀の川と土入川が合流する河口付近一帯です。交差点はじめ、交番や周辺店舗に“御膳松”とついてはいますが、住所は湊や北島。付近に松の木も見当たりません。
ニュース和歌山発行『城下町の風景』でおなじみ、和歌山市立博物館の学芸員、額田雅裕さんに聞きました。
徳川頼宣公が食事した場所
「湊の地名“御膳松”の由来は?」。和歌山市立博物館の額田雅裕さんに聞くと、1839年発行の『紀伊続風土記』にその答えが書かれており、「約400年前、小高い丘に古い松がいくつか生えていて、ある時、初代藩主の徳川頼宣公が御膳を食べたことで、この辺りを示す呼称として“御膳松”の名が人々の間で広まった」そうです。
今の紀の川と土入川が合流する辺りは海に近い湿地で、もっと昔は和田浦鵜島(わだうらうのしま)と呼ばれていました。「“ごぜん”の響きは殿様を連想させ、印象が良いので、場所を示す言葉として使われるように。この後、明治時代につけられた小字に御膳松の名が残ったのも同様の理由ではないか」と推察します。
お城の外での食事は頼宣公の気分転換になったことでしょうね。
(ニュース和歌山/2020年5月9日更新)