新緑が気持ちの良い季節ですね。今回の疑問は岩出市のY・Mさんから届いた「和泉山脈に沿って走る紀ノ川広域農道沿いに海神社(かいじんじゃ)があります。こんな山の中に、なぜ〝海〟神社?」です。
早速行くと、確かに緑が生い茂る紀の川市の山中に突如、〝海神社〟の看板が現れました。
なぜ、〝海〟とついた神社がこの場所に建てられたのか、先祖代々に渡り神職を務める山田秀重宮司に聞きました。
海の神様をまつっているから
「山の中になぜ海神社?」。山田秀重宮司によると、「熊野の楯ヶ崎から来た海の神様、豊玉彦命と国津姫命を平安時代初期からまつっています。ヤマト王権の祭祀を司った忌部宿祢(いんべのすくね)が神からお告げを受け、この地に創建しました」。
『延喜式』台帳はじめ、『紀伊国名所図会』や『紀伊続風土記』などに載っている県下有数の歴史ある神社です。ただ、ルーツには諸説あり。奈良県の山間部にも海神がまつられている神社があることから、瀬戸内海に住んでいた古代人が、紀伊水道を経て和歌山市付近に移動し、さらに紀の川をさかのぼって吉野川流域に住みつき、各地で自分たちの海神を一帯でまつった。また、葛城や熊野の修験者によって勧請されたとの説もあります。
長く栄えてきた海神社ですが、1585年に豊臣秀吉の紀州遠征で兵火にかかり、根来寺や粉河寺と共に、本殿や宝物、古い記録などが全焼。翌年に再建され、それまで別々だった2神が1つの社殿にまつられるようになりました。
(ニュース和歌山/2020年5月23日更新)