このコーナーがスタートし、車で様々な場所を走っていると、地名の看板を見る度に「由来って何だろう?」と気になるようになりました。今回は岩出市の岸秀俊さんから届いた「紀の川市の名手市場は昔、市場があったの?」です。

 古い建物が今もちらほらと残り、国指定の史跡、旧名手宿本陣もあるこの町。もしかすると昔は大きな市場があり、大勢の人が訪れたのでは?と想像しつつ、同市生涯学習課に聞きました。

写真=国指定の史跡、旧名手宿本陣

 


 

店と宿でにぎわっていた

 「紀の川市の名手市場は昔、市場があったの?」との疑問。同市生涯学習課に聞いたところ、江戸時代に書かれた『紀伊続風土記』に、この村にはたくさんの商店が並び、昔から市場があったため、「市場村」の名前がついたと記されていました。

 大和街道が通り、元々、宿場町として栄え、旧名手本陣には参勤交代で江戸に向かう道中、藩主が宿泊しました。1796年発行の『市場村商人職人名前書』には、水茶屋、材木屋、豆腐屋、みそ・しょう油屋など、31軒が並んでいたとあります。

 120年以上前からこの町で営業する書店、堀光文堂の店員に聞くと、50年前まではまだ精肉店や鮮魚店、電気店、履き物店など、たくさんの店が軒を連ねていたそう。「この町で買い物をすると、生活に必要なものは全てそろうほどで、近隣の町から買い物に来る人でにぎわっていた」と話していました。しかし、時代と共にスーパーやコンビニが増え、商店街は衰退し、今は数軒だけが営業している状況です。

 便利なのは良いことですが、昔ながらの風情あるたたずまいの商店街があり、にぎやかな声が聞こえる風景も残ってほしいですね。

(ニュース和歌山/2020年10月10日更新)