葉が色づき始め、気温が低くなると、近くなりやすのがトイレ。今回の疑問は、和歌山市のサブさんから届いた「子どものころ、年配の人がトイレに行った後、〝高野山にお参りしてきた〟とよく言っていましたが、なぜ高野山?」です。

 用を足すことを「花を摘む」や「キジを撃つ」などの隠語で表すことがありますよね。登山時によく使われ、広まったとされる言葉ですが、関係あるのでしょうか? 

 なぜ高野山がトイレの隠語になったのか、歴史や理由が記された文献をたどりました。

 


 

厠と響きが似ている

 「高野山に参る=トイレに行く?」。和歌山市の作家、神坂次郎さんの著書『紀州の方言』によれば、「高野という語がカワヤ(厠)と響くところから、高野山ともじった」のだそうです。なるほど、発音が似ているのでトイレの隠語になったんですね。紀北の言葉と書かれています。

 古事記には厠の語源について、昔は川の上に足場を設けて用を足したので、「川屋」の名称が生まれたそう。まさに天然の水洗トイレでした。

 高野山では開山当初より、転軸山から四十八谷へ流れる川に川屋を建て、排せつ物を流しました。その川が集まって御殿川(おどがわ)となり、奥の院一の橋から南へ行ったところにある約40㍍の大滝を経て、その先の有田川に注ぎました。

 『紀州の方言』には「高野山では、もろもろの汚穢(おわい)を払うためと称して大滝村の大滝のそばに一基の石仏を祀った。清めの不動である」とも記されています。千年以上前から、トイレと高野山にこんなつながりがりがありました。

 若い世代にとってなじみの薄い言葉ですが、歴史を知れば一度使ってみたくなるような…。ではちょっと失礼して、高野山に参ってきます。

(ニュース和歌山/2020年10月31日更新)