近所にあるのに、由来や歴史など意外と知らない場所ってありますよね。今回は岩出市の50代女性から寄せられた「六十谷の北側の山中に“墓の谷”というところがあります。毎月7日に大勢の人がお参りされているのはなぜ?」を調査しました。
山の中へ進むと、「墓の谷行者堂」(写真)がありました。道中、出会った人によると、「昔、子どもの受験時によくお参りした」とのこと。何やら縁起が良さそうです。
墓の谷行者堂を管理する直川観音の西山一亨住職に聞きました。
子の大成を願った役行者の母にあやかり
「六十谷の北側の山中にある墓の谷。毎月7日にお参りする人が多いのはなぜ?」。墓の谷行者堂を管理する直川観音の西山一亨住職は「子の大成を願った役行者の母親のお墓があると言い伝えられ、月命日とされる7日にお参りする人が多いです」と教えてくれました。
役行者は日本遺産、葛城修験道の開祖です。和歌山市立博物館で、その歴史にまつわる複数の資料を見せてもらいました。
まず、直川観音が所有する最も古い文書『大福山旧記』(1322年)に、「石廟あり役行者亡母の墓所と云々」との記述。江戸時代編さんの『紀伊続風土記』には、墓の谷の説明に「修験者の行所なり。役小角の母の墓なりといふ」とあります。役小角とは役行者のこと。昭和初期発行の『直川村郷土誌』で、「霊験あらたかにして、毎月の新旧7日には遠近より参拝する者多く」とにぎわう様子が書かれています。
西山住職によると、役行者の母にあやかり、いつの時代も子の将来を願う親が参るそう。戦時中は出兵する子の帰還を、戦後は受験祈願、近年は就職や結婚、病気回復など。子を思う親の心は変わりませんね。
(ニュース和歌山/2020年11月21日更新)