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和歌山市と淡路島の洲本市の約40㌔(海峡幅11㌔)を結ぶ紀淡連絡道路の構想は、87年の第4次全国総合開発計画で浮上した。大阪湾環状交通の要として関西国際空港と西日本全域を結び、災害に強い新国土軸をつくるためで、92年には県を事務局に関係府県で紀淡海峡交流会議が発足。国へ働きかけを進めた。96年、県は「世界最長の吊り橋」建設へ気運を向上させた。 実現めざした西口県政 1996年7月11日号掲載記事の「紀淡連絡道路実現化県民大会」はマリーナシティで開催。当日は小中学生とその家族約200人が徳島高速船に乗り、淡路島、友ヶ島を巡った。担当課職員だった赤坂武彦さん(49)は「ナイアガラの滝という仕掛け花火が印象に残っています。徳島から子ども阿波おどりも招き、盛大でした。当時、関係自治体の会議が多かったのですが、和歌山が常にリーダーシップをとっていましたよ」と振り返る。
和歌山市など8市12町で結成した紀淡連絡道路実現期成同盟会は96年度から研修会を始めた。研修会には自治体担当者約60人が出席。講師の一人で同市立博物館副館長だった寺西貞弘さん(61)は「南海道」と題し話した。「阪神淡路大震災の時、淡路島への救援は和歌山から船で向かった。同規模の地震が起きても新橋で和歌山から淡路へもう一つルートができると強調しました」 凍結、そして再浮上 この後、経済情勢から構想は停滞。公共事業への世間の目も厳しくなった。響いたのは民主党政権下の2008年、国土形成計画で、湾口、海峡部のプロジェクトは凍結され、市町村の熱は次第に冷めていった。 ◇ ◇ 「ニュース和歌山が伝えた半世紀」は毎週土曜号掲載です。 |
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※ニュース和歌山2014年8月16日号掲載
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半世紀No.33 〜 1996年(H8)紀淡連絡道路 気運高める 時代に揺れる大プロジェクト
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