400年近い伝統を誇る和歌祭が10年ぶりに和歌浦地区で開かれた。和歌浦東照宮に東照宮会館が完成した記念の開催で、行列する種目が少ないミニ祭りながら550人が参加。東照宮鳥居前から明光通り、和歌公園前を通って東照宮に戻る2㌔を行列した。(2000年3月18日号より)

ミニ和歌祭で行われた神輿下ろし

 毎年5月に和歌浦で開かれ、多くの観客が集まる紀州東照宮の例祭、和歌祭。戦前は現在のように和歌浦で開かれていたが、1949年から2002年までは和歌山商工会議所が開く商工祭の中に組み込まれ、和歌山城周辺で行われていた。
 次第にパレード化し、神事としての趣きが失われていくことや、芸技ごとに組織される「株」の後継者問題に直面する中、「祭りを地元に戻し、本来の姿に」との声が高まり始めた。保存会が結成され1990年に戦後初めて地元で復活したものの、その後再び中心市街地へ。そして10年後の2000年、和歌浦での完全復活を目指す一歩として、地元で10年ぶりにミニ祭りが開かれた。

PRに全国奔走

2000年には韓国の済州島でPR

 前年の1999年に地元で育った若手の自営業者らが中心となり、保存会青年部を発足させた。立ち上げに携わり、2006年から13年まで実行委員長を務めた保井元吾さん(50)は「発足当時、株の保持者は20人ほどで、平均年齢は80歳を超えていた。このままでは祭りがなくなってしまうとの危機感がありました」と振り返る。
 青年部メンバーがそれぞれ株の元に出向き芸や仕組みを教わった。「道具の運び方にはじまり衣装の着方、子どもの集め方など分からないことだらけでした」。また、和歌山市と連携し、祭りを市の観光の目玉にしようとPRに務め、国内外を奔走した。
 本祭の本格的な地元開催を目指し、3月に地元で10年ぶりに開かれたミニ和歌祭。西川秀紀宮司(68)は「1990年に和歌浦で開いて以来の地元での祭りで、昔を知る人にとっては懐かしいものでした。特に市電廃線後、街中まで見に行けず、寂しい思いをしている人は多かった」と話す。

400年へ向け継承

 和歌祭は2年後の02年に商工祭から独立し、地元での連続開催が続いている。明光通り商店街で今春まで明光マーケットを開いていた鳥居信次さん(80)は「和歌浦で再び開かれるようになり、祭りの前には昔のように自宅に親戚や友人を招くからと買い物する人ができました」とにっこり。
 団扇太鼓の株を担う松井瑛雄さん(86)は「かつて和歌祭に出るのは男性だけだったが、戦後、男女一緒になった点や絶えたり新たに加わった芸など、戦前と変わった点は多いですね。団扇太鼓は今、20人の女の子が演じています」。
 地元での復活を果たして以降、祭りに興味を持つ人が増え、かつて途絶えた芸が復活したり、面や衣装をつくるワークショップが開かれたりと、次世代への継承に向けた努力は続く。保井さんは「和歌浦で開けば地元を出た人も当日は戻ってくる。後世に続く仕組み作りをしながら、観客6万人を目標に続けたい」と未来を描く。
 2022年、いよいよ祭は400周年を迎える。

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ニュース和歌山2014年9月13日号掲