半世紀No.39 〜 2002年(H14)コムサ!! デンマーク W杯で高まる友好ムード
5月31日からのサッカーワールドカップを控え、デンマーク代表チームが20日から和歌山市で事前キャンプ中。これに合わせ、同市で応援団が結成されたり、高校生がチームや国を紹介するホームページを立ち上げたりと友好ムードが広がっている。 (2002年5月25日号より)
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チュニジアとの公式戦は満席に
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日韓ワールドカップが開かれた02年、デンマーク代表は紀三井寺公園でキャンプを張った。練習を公開し、サイン会や地元の小学生へサッカー教室を開催。ワールドカップを機に、和歌山県とデンマークとの友好の輪が広がった。
第2のホーム
01年12月、キャンプ地に内定後、各所で歓迎の準備が進んだ。和歌山青年会議所はデンマークサッカー協会に千羽鶴を贈り、県職OBは紀三井寺公園を花で彩った。立て看板とデンマークを紹介するホームページを作る高校生もいた。和歌山市の新家兄璽(けいじ)さん(52)は私設応援団「和歌山ローリガンズ」を立ち上げ、手作りのメガホンやステッカー、Tシャツを準備。万全の態勢で選手を出迎えた。 非公開練習に徹し、キャンプ地との交流を控える代表チームが多いなか、デンマーク代表は全練習を公開した。当時、県のキャンプ運営責任者で現在はビッグホエールの館長を務める横尾英治さん(64)は「気軽にサインするので警備が心配なほどだった。和歌山のおもてなしを気に入ってくれ、チームがこたえてくれた」と語る。 「世界レベルで活躍する選手のプレーが至近距離で見られる」「笑顔で気さくに接してくれる」と次第にファンが増え、キャンプの6日間で13500人が紀三井寺公園を訪れた。県サッカー協会の中村源和副会長(64)は「競技場の外で待つサポーターを見たモーテン・オルセン監督の心遣いで、非公開を予定していたチーム内の紅白戦を急きょ公開したこともあった」と振り返る。 キャンプ最終日の5月26日に開かれたチュニジアとの国際Aマッチは、17500人が紀三井寺陸上競技場を埋め尽くした。赤地に白の十字を描いた国旗がはためき、まるでデンマークのホームのようだった。 チームは翌日、韓国での1次リーグに向け出発。宿泊先のロイヤルパインズホテルには100人が駆けつけ、勝利を祈った。マリーナシティの堀内孝治さん(47)は「別れ際、幼稚園児が描いた絵を渡すと、『これ本当に僕にくれるの?』と涙を流す選手もいた」。挑んだ1次リーグは、強豪フランスを破り見事1位通過。横尾さんは「選手の合い言葉は『勝って和歌山に戻ろう』だったと伝えられた時、本当にうれしかった」。韓国からの帰国を出迎えたファンは、500人にふくれあがった。
東京五輪に期待
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気軽にサインにこたえる選手
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日本での決勝トーナメント1戦目、相手は強豪イングランド。和歌山ローリガンズは新潟のスタジアムへ駆けつけた。周りがベッカムコールで湧く中、ローリガンズは「コムサ!(頑張れ)デンマーク」と叫び続けた。雨の試合は0—3で敗退。02年、デンマーク代表のワールドカップは終わりを告げた。 その後もデンマークとの国際交流を深め、03年から毎年、紀三井寺公園で記念大会を開く新家さんは「デンマークチームは和歌山に夢と希望を与えてくれた。残してくれた思い出が色あせることはない」。次は20年の東京オリンピック。デンマーク代表が、再び和歌山でキャンプを張る日を期待している。
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「ニュース和歌山が伝えた半世紀」は毎週土曜号掲載です。
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※ニュース和歌山2014年9月27日号掲載
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