ぶらくり丁にある老舗映画館「シネマプラザ築映」が8月31日の営業を最後に閉館する。1938年の開館以来、市民に娯楽を提供し、また、和歌山の映画文化に貢献してきた67年の歴史に幕を下ろす。(2005年8月31日号より)

1階はビデオショップがあった。階段をのぼって喫茶へ

 2001年の丸正百貨店倒産を引き金に、ぶらくり丁では、老舗映画館が相次いで閉館に追い込まれた。03年に東ぶらくり丁の帝国座、05年2月に元丸正前の東映シネマ、そして8月、中ぶらくり丁の築映が幕を閉じ、二丁目かいわいから映画館が消えた。
 前年の04年には複合型映画館のジストシネマ和歌山や泉南市のイオンシネマの開業が続いた。築映支配人を務めた島(旧姓山本)哲也さん(58)は「閉館が決まるとヒット作の配給が減ったので、フォークシンガー高田渡のドキュメンタリーなど、自分の好きな作品を流しました。特別上映やセレモニーはしないのかと問い合わせが続きましたが、粛々と終わるつもりでいました」。

ファンの集い盛況

 最終営業日、『亡国のイージス』の上映終了後、劇場で「さよなら築映ファンの集い」が開かれた。企画したのは落語家の桂枝曾丸さん(46)と、イベント会社を運営する杉谷和昭さん(46)。杉谷さんは「これだけ長年愛された映画館。記憶に残るような催しをしたいと映画館に伝えました」。
 当日は150人が集まり、皮肉にも立ち見が出る盛況ぶりを見せた。劇場や映画関係者らが登壇し、枝曾丸さんが客席を回って思い出話を聞いた。進行を務めたフリーアナウンサーの小林睦郎さん(69)は「突然かけつけたアコーディオン奏者の方が、これまでのお礼にと映画音楽を演奏してくれました。良質な作品を和歌山に届けた築映さんは本当によくやってくれた」と振り返る。

多くの市民がつめかけたファンの集い

 本紙にも読者から多くの声が寄せられた。「一番多く通った映画館。字幕翻訳者の戸田奈津子さんにあこがれた」「味のある古さ、お尻が痛くなってくるイス、上映の間に流れる『みかんの花』も大好きでした」「名画座の趣きがあった。あの思い出を胸に、いつかよみがえることを夢としたい」…。寂しさや悔しさをにじませつつ、どの文章も最後は「築映さん、ありがとう」と締めくくられた。

変わらぬ喫茶の味

 閉館後は劇場の活用が期待されたものの、解体されコインパーキングになった。翌年には元社員がモンティグレなどで出張上映会を開く和歌山映画センターを設立、銀幕の灯を引き継いだ。
 今もぶらくり丁で築映の名を掲げるのは、築地交番前の「喫茶チクエイ」だ。劇場の2階にあった喫茶築映で働いた小林泰尚さん(52)が屋号をカタカナにして06年にオープンし、チャーハンやカレーなど今も変わらぬ味を提供する。小林さんは「常連さんが分かりやすいように名前をそのままにしました。今も当時からの常連客やスタッフが通ってくれますよ」。
 今年3月には新たにイオンシネマ和歌山が開業した。昭和のにおいを強く残すまちの映画館は、全国的にも姿を消しつつある。

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ニュース和歌山2014年10月18日号掲載