㉒真光寺
上の絵は、新町の新中通4丁目にあった真光寺の支坊付近の約200年前の風景です。
新町は、城下町東部、和歌川の東側にあった町人町です。浅野時代にはまだ城下町に入っていませんでしたが、元和5年(1619)の徳川頼宣入国後、城下に組み込まれました。新町には和歌川に並行して走る計画的な南北の通りが4本あり、西から3本目が新中通です。
真光寺は阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、末寺は紀伊国と和泉国に38か寺あったといいます。
開基は楠木正成の甥和田源秀(げんしゅう)で、嘉暦年間(1326~29)に和泉国日根郡の嘉祥寺浦(かしょうじうら、現在の大阪府泉南郡田尻町)に真言密教の道場として建立されました。その後、嘉祥寺と号し、後醍醐天皇から「光明山法泉院」の勅額を受けました。康永元年(1342)ごろ現在の宗派に改宗し、寛正年間(1460~66)に現在の寺号へ改称しました。
天文年間(1532~55)に九代誓賢(せいけん)が和歌山へきて、現在の寺域に一宇を建立しましたが、寛永2年(1625)に本寺を新中通に建立して城下へ移りました。
絵図手前の道が新中通で、寺域は塀で囲まれています。山門は新中通に面してあり、その右手に鐘楼、正面に本堂が西向きに建っていました。絵の背景には、町屋が立て込んだ新町の家並みが画かれています。
真光寺は、明治2年(1869)に宇須(現在の市内打越町)にあった本寺へ戻りました。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)
画=西村中和、彩色=芝田浩子
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『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載です。次回は2月25日号です。
(ニュース和歌山2015年2月11日号掲載)