㉓本社住吉社・利益院・本弘寺
上の絵は、城下町北部の内町にあった住吉神社付近の約200年前の風景です。
住吉社はもと広瀬の三木町堀詰にありましたが、近世初期に米屋町へ移り、その後、町名となっている住吉町(本町小学校付近)へ遷座しました。
絵図手前の南北に走る住吉町通りは、平行する本町通りの二筋東側の道です。山門をくぐって境内に入ると、正面に鳥居があり、まっすぐ進むと住吉社の「本社」に至ります。その右、境内の南側には「あたご」(愛宕権現)・「八まん」(八幡宮)・「歓喜天」・「天神」がみえます。
本社と並んで左側には住吉社の別当寺利益院の「薬師」堂、その左には「大師」堂が配置されています。利益院は、古義真言宗の寺院ですが、神仏習合のため、絵図では住吉社と同じ境内に建っています。同院は、明治42年(1909)に湊村(和歌山市湊5丁目)の地蔵堂に併合されました。
道を挟んだ西側には、元和5年(1619)、三河国から移ってきた浄土真宗本願寺派の本弘寺(ほんぐうじ)の屋根がみえています。
この付近は昭和20年(1945)7月9日の和歌山大空襲で大きな被害を受け、都市計画によって本町公園・本町小学校が設置されました。本町小学校の所在地が住吉町なのは、住吉神社が戦前まであったことに由来しています。
現在、住吉神社は和歌川と北新町川(真田堀)の合流する元寺町1丁目の埋立地へ、本弘寺は隣接する東旅籠町へ移っています。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)
画=西村中和、彩色=芝田浩子
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江戸期の地誌「紀伊国名所図会」に彩色し、解説する『城下町の風景』は第2・4水曜号掲載。次回は3月11日号です。
(ニュース和歌山2015年2月25日号掲載)