名草戸畔については、もうひとつ興味深い伝承が残されています。
それは、名草戸畔は神武軍との戦いの後、頭、お腹、足の3つに分断され、頭を「宇賀部神社」、お腹を「杉尾神社」、足を「千種神社」に祀られたというものです。「宇賀部神社」は「おこべさん」の愛称で、受験にも効く頭の神様、「杉尾神社」は「おはらさん」でお腹の病気に効く神様、「千種神社」は足の病気に効く神様として、今も親しまれています。3つの神社は海南市の高倉山周辺に鎮座しています。名草戸畔について知らなくても、おこべさんやおはらさんは知っているという方も多く、地元でとても愛されている様子です。これも文書に書かれることはなく、いつの頃からか土地に伝わってきた伝承です。
しかし、遺体を切断して祀るなど、かなり不気味でオソロシイ印象があります。おかげで近年、「神武天皇が討伐した名草戸畔の怨霊を封じ込めるためにバラバラにして埋めた」との説も横行しました。民俗学では、負けて恨みを持って死んだ者を「怨霊」とし、そのたたりを恐れて祀る信仰を「御霊信仰」と呼びます。名草戸畔の3神社は御霊信仰のお宮だというのです。
しかし、実際に現地で伝承を調べてみると、だいぶ様子が違っています。前回までに紹介した小野田寛郎氏の伝承では「名草は軍を追い払ったので負けたと思っていない」といい、小薮繁喜氏の台本は降伏説で、後も幸せに暮らしたというニュアンスが強く、負けて恨みを持っているような伝承はどこを探しても出てこないのです。
実は、名草戸畔遺体切断伝承とよく似た神話が存在します。それは「ハイヌヴェレ型神話」といって、切断された女神の遺体から穀物が生えるという物語です。農耕の起源を表す神話とされ、芋や稲などの栽培が発生した東南アジア中心に世界中に広く分布しています。名草戸畔の3つの神社にも稲の神「宇迦御魂神」が一緒に祀られています。
3つの神社が今でも、頭やお腹や足に効く神様や豊穣の神として愛されているのは、名草戸畔が自然の山を祀り、民を守る幸せの女王だったからではないでしょうか。
写真=杉尾神社
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名草戸畔伝承をもとにした劇団ZEROの公演「名草姫」が10月10日(土)午後1時と5時、和歌の浦アートキューブで開かれます。1000円。チケットは和歌山市民会館などで販売中。また、なかひらさんの著書『名草戸畔〜古代紀国の女王伝説』(1800円)も好評発売中です。
(ニュース和歌山2015年9月19日号掲載)