古老によると、昔、田並川上流に才助という人が住んでいて、信心深く、この滝をよく詣でたことから名がついたと言う。戦後、村人も才助にならって正月に参る風習があったそうだ。江戸時代の古文書には、「田並上村庄屋 有木才助」の名前が出てくるが、この人物であった可能性もある。
滝は左右にあり、左が雄滝、右が雌滝だと言い、いつも水が少ないので、雨の後に行きたいと思っていた。先日、台風18号の翌日に行ってみたが、林道はがけ崩れと倒木で通行不可であった。地元の人の話では、林道は以前から通行できず、滝に参る人もいないと言う。
私は、自転車と徒歩で3㌔の道程を経て滝の下に来た。ごうごうと飛沫(しぶき)をあげ、見事な滝となっていた。
(ニュース和歌山/2017年9月30日更新)
大上敬史さん作製「和歌山県の滝」で、県内の滝が紹介されています。