明治末期から大正のごく初期と思われる写真です。
奠供山に見えるエレベーターの開業は明治四十三(一九一〇)年。他方、大正二(一九一三)年には和歌浦口から分岐し新和歌浦まで電車が通じ、線路は池畔に見える民家の手前に敷設され、池を半周する形でしたが、写真では見当たりません。
水面に影を落とす松の背後に紀伊徳川家別邸「双青寮」が大正九年に完成します。名の由来が「翠松碧波相映するの意より、双青寮と名づく」(『和歌山縣名勝地寫真帖』)のもうなずける風景です。
紀国堂、溝端佳則さんの古写真を紹介します。
(ニュース和歌山/2021年1月23日更新)