和歌山市のみかんさんほか4人から、「市や県の境界線は尾根や川が多いのに、国道42号を南下し、新毛見トンネルを抜けた先はなぜまだ和歌山市なの?」と質問をいただきました。
見に行くと、トンネルを抜けた後、200㍍ほどは和歌山市で、県立自然博物館前交差点を境に海南市となります。
トンネルが通っている船尾山を市境にすれば分かりやすい気はしますが、なぜトンネルを過ぎてからも少しだけ和歌山市なのでしょうか…
江戸時代の区域を引き継いだため
「国道42号を南下し、新毛見トンネルを抜けた先はなぜまだ和歌山市なの?」。同市文化振興課によると、「船尾山の西端が海に突き出したところは毛見崎と呼ばれる岬で、江戸時代、周辺は漁村でした。村民は船で岬の北からも南からも出入りしており、山をはさんで北も南も同じ漁村だったんです」。なるほど、当時の毛見の漁村、そして隣接する船尾村との境界線が今も和歌山市と海南市の境として残っているんですね。
1915年発行『和歌山史要』を見ると、毛見浦は漁をするのに適した場所だったものの、砂や小石が堆積(たいせき)し、遠浅になったため、住民は漁業をやめて農業を営むようになったと記されています。
その毛見地区ですが、江戸時代から1889年までは名草郡、その後、紀三井寺村、紀三井寺町を経て、1940年に和歌山市となりました。
(ニュース和歌山/2021年1月23日更新)