町を歩くと出合う地蔵さんや仏さま。地域の人の思いが込められ、大切にまつられている姿を見ると心が和みますよね。今回は和歌山市の岡本朋子さんほか5人から届いた質問「城北橋南詰に建っていたお不動さんはどこへいった?」です。

 現地に向かうと、かつて不動明王があった場所は更地になっていました。いつ、どのような理由で建立され、なぜなくなったのか。そして今はどこにあるのか…。長年、管理していた清瀧美登里さんに聞きました。

 


 

元寺町にある高野寺へ移された

 「城北橋南詰に建っていたお不動さんはどこへいった?」。管理していた清瀧美登里さんによると、「昨年10月に撤去し、和歌山市元寺町の高野寺に移設しました」とのことです。

 お不動さんが橋のたもとに建立されたのは1959年6月11日。車の行き来が盛んで、事故の多い場所でした。当時の県民の友に「和歌山商業婦人会が交通事故による悲劇をなくし、事故犠牲者のめい福を祈るために、交通安全協会の協力を得て建てたもので、交通の守り本尊といわれる成田不動尊像(高さ1・5㍍)である」と記されています。

 当初は和歌山商業婦人会会長だった清瀧さんの母親が管理し、40年前に他界してからは清瀧さんが夫と世話をしてきました。しかし、敷地内に桜や楠を植え、手入れしてきた夫が2年前に亡くなり、一人で維持するのが難しいと、移設先を探していました。

 この話を聞いたのが、元寺町にある真言宗の高野寺住職、阪口隆祥さんでした。「不動明王は弘法大師空海が唐から密教を伝えた際に日本に持ち込まれたもの。ぜひ当寺でまつらせてくださいと申し出ました」

 昨年12月21日に開眼法要が行われ、以前から信仰していた多くの人がお供えものやお花を手に、毎日のようにお参りに訪れています。長年、城北橋の近くで親しまれたお不動さん。これからも新天地で住民の安全を見守ってくれています。

写真=現在は高野寺にまつられている

(ニュース和歌山/2021年2月27日更新)