和歌浦地区にお住まいの60代女性から頂いた質問です。「和歌浦にある御手洗池(みたらいいけ)公園の由来は何ですか?」

 御手洗池公園は和歌山市和歌浦西です。池の北側には紀州東照宮、和歌浦天満宮があり、2つの神社と隣接しています。

 「御手洗」の語源は「神仏を拝む前に参拝者が手を清め、口をすすぐ場所」(小学館『日本語源辞典』)とあります。どんな歴史があるのでしょう。和歌山大学名誉教授の藤本清二郎さんに聞きました。

写真=池があり、中央は島になっている

 


 

天神信仰と深いかかわり

 「和歌浦にある御手洗池公園の由来を知りたい」。和大名誉教授の藤本清二郎さんにうかがいました。

 池近くの和歌浦天満宮は1606年に浅野幸長によって整備されました。それ以前から和歌浦では天神信仰が漁民に根付き、天神社は古くからあったとみられます。一方、紀州東照宮は1621年の創建です。

江戸時代の地誌書『紀伊国名所図会』に入江が描かれている

 

 1664年に記された和歌浦天満宮の社伝『関南天満宮伝記』に「御手洗川」の表記が出てきます。そこには「この川はもともと海岸につらなり、川のようになった」と注釈があります。江戸時代の地誌書『紀伊国名所図会』には、天満宮の社殿下に入江が及び、その中に鳥居が立つ風景が描かれています。

 また社伝には、鳥居の沖に「影向石(ようごういし)」があったとの記述もあります。これは天満宮の祭神、菅原道真が太宰府に流される際、この地に立ち寄り、船をつないだと伝わる岩であり、神仏の徳が降り注ぐ象徴との意味もあります。「江戸時代の障壁画を見ると、ここで神事が行われていたのが分かります。ある意味、和歌浦の根本と言っていい場所です」と藤本さん。

 「海から川のようになり、近代に入りバス路線など道路や区画整備が進み、川から池、そして公園になったと思われます。この変遷を正確にたどれば、いい研究になりますよ」と話しています。

(ニュース和歌山/2021年7月17日更新)