一九四五(昭和二十)年七月九日の空襲で焼失した天守跡です。天守閣が再建されるまでの荒涼とした虎伏山に登った人々はどんな感想を抱いたことでしょう。大天守の礎石とおぼしき石が散乱しています。
三人の人物が立つ向こう側は天守基壇の南東隅にあたるのでしょう。さらにその向こう側、木立が見えるところは上水道の配水池(本丸御殿跡)です。
遥か東方の山々は右から福飯ヶ峯、大日山の一部、木立にかくれて花山、さらに東方(奥)の高積山の一部を望みます。
紀国堂店主、溝端佳則さんの古写真を紹介します。
(ニュース和歌山/2021年7月24日更新)