今回は、ニュース和歌山大好き子さん(61)からの質問です。「和歌山は雑賀衆が有名ですが、小雑賀、雑賀屋町、雑賀崎と『雑賀』がつく地名がたくさんあります。どんな意味があり、雑賀衆とは関係があるのでしょうか?」です。
戦国時代、現在の和歌山市を治めていたのは雑賀惣国と呼ばれる共和国で、中でも織田信長と戦った雑賀孫市が率いた鉄砲隊、雑賀衆は小説やゲームなどで知られます。あちこちにある「雑賀」の地名にかかわりを感じますが、いかに。
由来は雑賀荘
「雑賀のつく地名と雑賀衆との関係はあるのでしょうか」。和歌山市立博物館学芸員の太田宏一さんに聞くと、「直接的には関係ないと言えます」。鎌倉時代以降、和歌川から西、土入川から南の土地は「雑賀荘」と呼ばれる荘園でした。雑賀とつく地名は「雑賀荘」から来ている場合が多いようです。
例えば雑賀崎。崎は「土地のでっぱり」との意味で、雑賀崎は「雑賀荘のでっぱった場所」です。「『雑賀水軍の拠点ですか?』とよく聞かれますが、関係はありません」。小雑賀は元々、雑賀荘と隣の宮郷の境に流れる和歌川の西にありました。しかし、ある時期に流れが変わり、川の東になりました。川をはさんだ雑賀荘の土地として小雑賀となりました。
なお、雑賀屋町は江戸時代の豪商にちなんだ名前で、雑賀衆とのかかわりはありません。歴史ファンは雑賀衆と雑賀の地名を重ねるようですが、「雑賀衆」自体が「雑賀」という地名に由来しているのです。
雑賀は雑賀荘、社家郷、中郷、南郷、十ヶ郷の5地域の共和国で、今の和歌山市エリア。太田さんは「雑賀衆は今で言う和歌山市民の意味。鉄砲隊の武装集団と思われがちですが、それは一面で、全てではありません。地名も雑賀衆でなく、雑賀荘から来ているのです」と話します。
(ニュース和歌山/2021年9月11日更新)