和歌山の名産について和歌山市の女性(38)からのご質問。「紀州てまりが和歌山のお土産にありますが、どうして名産になったのですか? 糸が有名? それとも染料が有名?」です。
『鞠と殿様』の歌で知られる紀州てまり。紀州藩の女官が姫様のために作ったのが始まりと言われます。「物事が丸く収まるように」「子孫繁栄」の願いを込め、母から嫁ぐ娘に持たせ、代々、女性へ受け継がれました。
なぜ土産品として広がったのでしょうか?
再興、そして黒潮国体
「紀州てまりが和歌山のお土産として知られるようになったのはなぜ?」。和歌山市の美園商店街で、てまり教室「紀州てまり工房さゆ紀」を主宰する宮脇俊美さん(75)にお話をうかがいました。
宮脇さんによると、昭和初期から長らくてまりは忘れられていました。再興したのは田辺市の久山雪雄さん、佐多子さん夫婦。佐多子さんの実家の蔵に残っていた10個のてまりのうち3個をひもとき、1960年代に技法を明らかにしました。
広がったのが71年の黒潮国体です。久山さんの作品がイベントで展示され、皇族に献上の機会を得ました。また、他府県の選手への土産品にするため地域でてまり教室が開かれ、紀州てまりは再び市民権を得たのです。
その後は、自治体が海外からの客に贈り物として活用。平成になり、ホテルや土産物店に並ぶようになりました。
「最大の魅力は、模様のバリエーションではないでしょうか。同じ模様でも色を変えると別の魅力を放ちます」と宮脇さん。てまりづくり体験の講師依頼は今も多く寄せられており、「関心を持つ方は減らないです」と根強い人気をかみしめます。
(ニュース和歌山/2021年10月30日更新)