今回は和歌山市の匿名希望さんから、地元の陶芸品に関するご質問です。「和歌山の御庭焼はどのようなものだったか知りたいです。今も伝承されているのですか?」です。
御庭焼とは、江戸時代に大名らが庭に窯を作って制作した陶芸品のことです。和歌山に限ったものではありません。
紀州藩には江戸期の陶芸品が数多く残ります。和歌山の御庭焼とはどんなものだったのでしょうか?
写真=和歌山の御庭焼作例(偕楽園焼)
十代藩主 徳川治宝が振興図る
「和歌山の御庭焼とは? 今も伝承されているのでしょうか?」との質問。和歌山市立博物館の山下奈津子学芸員に聞きました。
歴代の紀州藩主で最も文化の振興を図ったと言われているのが十代藩主、徳川治宝。和歌山の御庭焼で最も知られているのは、その治宝が隠居した西浜御殿で行ったものです。京都から陶工を招き、茶器などを作りました。
山下学芸員は「初めのころの作品は、低温で焼いた手びねりの茶器が多いです。そのうち陶磁器も作られ、主に2系統の作品が和歌山で見られますね」と言います。
治宝が手がけたものは「偕楽園(かいらくえん)焼」、十一代藩主の斎順によるものは「清寧軒(せいねいけん)焼」と呼ばれました。
当時の御庭焼は残っているものの、「藩主が手がけるものなので、近代以降は継承されてはいません」。
さて、その一方で、治宝の時代、藩の政策として焼きもので産業の振興を図ろうとしました。それらが南紀男山焼です。また民間では瑞芝(ずいし)焼が作られるようになりました。
しかし、男山焼は現在継承者がおらず、瑞芝焼は、六代目にあたる和歌山市の阪上重次郎さんが技を継ぎ、新しい作品を生み出しています。
(ニュース和歌山/2021年11月27日更新)