「この辺りは昔、○○だったんだよ」と年配の方に教えてもらったこと、ありませんか? 今回調べたのは和歌山市のG・Yさんから届いた「和歌山市に戦前、飛行場があったと聞いたのですが、本当?」です。
なんでも、同市今福の県営団地周辺にあった軍事施設内に飛行機が停まっていたと聞いたそう。同地区の近く、砂山南にある和歌山商業高校の入り口付近には「歩兵第六十一聯隊跡」と書かれた石碑が立っていますが、何か関係あるのでしょうか?
写真=この部隊と飛行場の関係は?
戦闘機が1機納められていた
「和歌山市に戦前、飛行場があったと聞いたのですが、本当?」。和歌山市立博物館の太田宏一学芸員によると、「今福や砂山地区には陸軍の施設がいくつかありましたが、当時の資料を見ても飛行場は確認できませんでした」とのこと。
この地区には歩兵第61連隊の練兵場や陸軍病院などが置かれていました。陸軍の中には戦闘機が配備された部隊もあったものの、この隊にはありませんでした。
ただ、1931年にぼっ発した満州事変を機に、全国的に軍部への献金が盛んに。和歌山県民も献金活動を続け、翌年10月、1機の戦闘機が歩兵第61連隊の練兵場に納められました。今の今福小学校や今福第2県営団地周辺です。
歩兵の訓練場なので、「飛行場」ではありませんが、広々とした草地だったため、小さな戦闘機であれば離着陸は可能だったようです。
たった1機ですが、それでも戦闘機が停まっているとインパクトがあったでしょうね。
(ニュース和歌山/2021年12月11日更新)