小中高校は2学期が始まりました。今回はかつてあった、和歌山市立の女学校に関する疑問です。和歌山市のペンネーム、吉田一郎さんから届いた「美園町のハローワーク入り口横に『和歌山市立和歌山市高等女学校跡』と書かれた石碑があります。県立の女学校は知っていましたが、市立の女学校が存在したの?」を調べます。
確認すると、碑の側面に沿革が記されていました。1934年に第一、第二高等女学校が合併、48年に閉校とありました。どんな学校だったのでしょう。
第一、第二の2校存在した時期も
「昔、和歌山市立和歌山市高等女学校があったの?」。同市教育委教育政策課が『和歌山史要』と『和歌山市史』を元に教えてくれました。
歴史は1912年設立の和歌山実科高等女学校と、23年開校の宮村立宮実科高等女学校にさかのぼります。27年、宮村は和歌山市に編入。その翌年、それぞれの名称は第一、第二高等女学校へと変更され、一時、市立の女学校が2校になりました。34年に両校が合併し、市立和歌山市高等女学校が、今、石碑のある辺りに誕生。母親が同校に通っていた同市の80代女性によると「県立は5年制で銀行員や官庁の娘が多く、4年制の市立は商家の娘が多かったようです」とのことです。
終戦の年、上級生が学徒動員され、県立医学専門学校に校舎を譲渡し、県立和歌山高等女学校校舎を間借りしました。しかし空襲で全焼。この後は小学校校舎を経て、47年、今の和歌山商業高校辺りにあった元24部隊建物へ移転しましたが、48年の学制改革で歴史に幕を下ろしました。
(ニュース和歌山/2022年9月3日更新)