路の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋ひ妻は 柿本人麻呂歌集による

 ヒガンバナは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、私たちになじみ深い植物です。風景にすっかりとけ込んでいて、日本古来の植物のように思われますが、大昔、中国から渡来したとされています。秋の彼岸のころ、一斉に花をつけ始め、田の畦(あぜ)に咲きそろう光景は格好の被写体になっています。

今年もまもなく、赤がまぶしい季節に

 真っ赤な花はよく知られていますが、その一生をご存知でしょうか。花が散った後、種子はできず、地上部は枯れてしまいます。でも、しばらくすると、地下に残った球根から葉が出てきます。葉は細長く、中央に白っぽい筋が入ります。葉のままで寒い冬を越し、春を過ごします。夏になる前には葉が枯れて、そこにヒガンバナが生えていたことも分からなくなってしまいます。そして彼岸が近づくと花茎を伸ばし、花を咲かせるのです。

 球根には毒成分が含まれていて、畦や墓地に多く植えられているのは、田を荒らすモグラや、土葬された遺体をあさる獣を遠ざけるためだったと言われています。

 万葉集には柿本人麻呂歌集に一首のみが残っています。

「路の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋ひ妻は」

 〝いちし〟はヒガンバナのこと。道端に咲いているヒガンバナのようにはっきりと、みんなが私の愛しい妻のことを知ってしまったよという意味です。この歌が詠まれたころは、恋は秘めているのが良いとされていましたが、みんなに知られてしまって、恥ずかしいやら、うれしいやらという心境でしょうか。(和歌山県立紀伊風土記の丘職員、松下太)

(ニュース和歌山/2022年9月17日更新)