葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ 志貴皇子

 イネ科のヨシは大型の草で、池や川などの水辺に群生します。そしてこのようなところを「ヨシ原」と言います。

 ヨシは昔から茅葺(かやぶ)き屋根に用いたり、すだれを作ったりするなど、生活に欠かせないものでした。また人以外でも、水鳥をはじめ、多くの生き物の棲(す)みかや寝ぐらとして、ヨシ原は生態系の中でとても貴重で欠かせない環境でした。さらに、その根は水を浄化する働きがあるので、水質保全にも大きな役割を果たしていました。

風土記の丘に隣接した池にもヨシが見られる

 しかし、少し前まではこのことが軽んじられ、開発の名のもとにヨシ原がどんどん少なくなっていった時期がありました。それが今またその価値が見直され、各地で保全しようとの意識が高まってきているようです。

 ヨシはかつて、「あし」と呼ばれていましたが、いつのころからか、あしは「悪し」につながるということで、「良し」に変わったと言われています。万葉集には「葦」を詠んだ歌が50首以上残されています。それほど人々にとって身近な植物だったのでしょう。この中から志貴皇子の歌を紹介します。

「葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ」

 ヨシ原の水辺にいる鴨の背中に霜が降りるような寒い夕方は、大和のことが偲ばれるよ──との意味です。皇子が天皇のお供で、奈良の都から難波まで行った時に、奈良を懐かしんで詠んだといわれています。今ではほんの短い距離ですが、当時ははるか遠くまで来たものだという寂しさがあったのでしょう。

(和歌山県立紀伊風土記の丘職員、松下太)

(ニュース和歌山/2023年2月18日更新)