東日本大震災からきょう3月11日で12年です。この大地震を含め、過去の様々な災害を教訓とし、次世代へつなごうと、「全国被災地語り部シンポジウム」が2016年から開催されています。今年は3月18日㊏に広川町で実施。この中の1つ、「200歳の語り部─巨大地震と津波を考える」と題した討論会では、稲むらの火の館の﨑山光一館長(73)がパネリストの一人を務めます。

記者からの一言

──出身は?

 「地元・広川町です。22歳から12年間、町の教育委員会に勤め、うち半分は生涯学習や文化財保護など社会教育に携わりました。県教委が稲むらの火に関する16ミリ映画を作った際は企画員を務めました。忘れられないのは、山間部から遠足で海岸を訪れていた小学生13人が津波で命を落とした1983年の日本海中部地震です。直後、稲むらの火についての取材を受けました。説明した後、記者から、『この話を知っていれば、あの子たちは命を落とさずにすんだでしょうね…』と言われたのが活動の原点です」

──その後は。

 「2003年、町の公民館が開いた語り部養成講座で講師を務め、翌年、受講生たちと語り部サークルを立ち上げました。翌04年のスマトラ島沖地震を機に、京阪神からバスで来られて、広村堤防を見学する方が出てきました。さらに東日本大震災後には依頼が殺到し、50団体を案内した月もありました。その後、14年から稲むらの火の館の館長を務めています」

梧陵さん 後世へ

──広川町での全国被災地語り部シンポジウムが来週末に迫っています。

 「シンポは1回目から何度か参加しています。東日本大震災や阪神・淡路大震災など様々な災害を経験された方が集まります。その中で耳にしたのが、特に三陸では40~50年に1度ぐらい津波の被害を受けているのに、東日本大震災では過去の教訓を生かせなかったということ。『広川町では170年前のことがなぜうまく伝承できているのか』とよく聞かれます。それは濱口梧陵さんという偉大な方がいたこと、そして稲むらの火の物語があることが大きいと思っています」

──伝えたいことは。

 「普段から話していますが、〝大地震が起きたら、海辺からすぐに高台へ逃げる〟。これに尽きます。一昨年12月、震度5弱の地震が県内で発生した時、耐久中学校は定期テストを中断し、高台へ避難しました。この日、稲むらの火の館に来る予定だった美浜町の中学校からは『バスが待機のため遅れます』と連絡がありました。幸い、津波は発生しませんでしたが、避難したことが無駄になっていいんです。万が一に備えた対応ができるようになってゆけばと願います。津波被害者ゼロへの挑戦を全国の皆さんと今後も続けたいですね」

第8回全国被災地語り部シンポジウム

 3月18日㊏。午前10時から広村堤防と稲むらの火の館を見学。午後1時15分から広川町民会館で﨑山館長や北淡震災記念公園の米山正幸総支配人、雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長らが参加する討論会。全国の災害語り部らによる分科会も。無料。申し込みは15日までに同館(0737・64・1760)。定員100人。

(ニュース和歌山/2023年3月11日更新)