絵は、江戸時代後期の熊野古道の平緒王子から奈久知王子(和歌山市平尾・奥須佐)付近の風景です。

 平緒王子は、絵図右下の平尾集落を通る細い道(熊野古道)沿いに「ひらをの王子」(現在の平尾公民館東側)と記され、小さな社殿があります。同王子は、明治四十一(一九〇八)年に絵図右端の都麻津姫神社に合祀され、現在は社殿がなくなっています。

 絵図右上の山腹には、「須佐社」(須佐神社)と「奈久知王子」がえがかれています。同王子の場所について、『紀伊続風土記』は同市薬勝寺、『紀伊国名所図会』は奥須佐に比定しています。建仁元(一二〇一)年の熊野御幸で、藤原定家は和佐井ノ口で後鳥羽上皇一行と別れ日前宮などを参拝後、ここで合流しています。

 左側の社殿は、伊太祁曽神社です。絵図を横切る幅の広い道は同社に至る街道で、多くの茶店や商人宿が建ち並び、鳥居前町が形成されています。路上には駕籠(かご)にのる人、武士、挟み箱を担ぐ人、子どもをおんぶした人、日傘を差す人、牛や馬を引く人など、参拝者だけでなく、様々な人々が通行しています。

関西大学非常勤講師 額田雅裕

画=西村中和、彩色=芝田浩子

(ニュース和歌山/2023年5月27日更新)