和歌山を代表する景勝地の1つである和歌浦は、文化財が数多く存在し、日本遺産に認定されています。

 今回は、和歌山市の50代女性から届いた「和歌浦にある不老橋の名前の由来は?」を調査しました。

 不老橋は、鹽竈(しおがま)神社の南にあります。江戸時代末期、東照宮の和歌祭で、徳川家の人々らが片男波の御旅所へ向かうために通った「お成り道」に架けられました。当時は珍しかったアーチ形の石橋。その姿と同様に、印象的な名前の由来について調べました。

       石造りのアーチが目を引く


不老不死からつけられた

 「和歌浦にある不老橋の名前の由来は?」。和歌山市立博物館によると、「『不老不死』から取られたものです」とのことでした。

 紀州藩に仕えていた陸奥宗光の父、伊達千広が、橋造りに携わった時に「老(ろう)せぬ橋をつくるなり」と詠んだことが残されています。「老せぬ」とはまさに、「老いない」という意味です。

 建造を始めたのは、1850年。当時は13代藩主徳川慶福(よしとみ)が治世していましたが、これを命じたのは、10代藩主だった治宝(はるとみ)です。11代と12代藩主が江戸からきた養子だったため、隠居後も藩政を支えました。橋は1年で完成。しかし翌年、治宝は82歳でこの世を去っています。

 設置から160年以上経過した2015年に、欄干の一部が崩落、16年に修復されています。「不老」の名があっても、美しさをずっと保つのは難しいもの。これからもこの景観を守り続けたいですね。

(ニュース和歌山/2023年6月17日更新)