絵は、江戸時代後期の三上山(春日山)頂上の春日神社と山麓の松代王子付近の風景です。今回は奈久知王子から先の三つの王子をまとめて紹介します。
最初の松坂王子(海南市且来)は、『紀伊続風土記』によると、早くから荒廃し、且来八幡神社に合祀されました。そのため、『紀伊国名所図会』にはえがかれていません。王子跡は熊野古道が亀ノ川低地を北から南へ横断した山裾に庚申さんをお祀りした小祠付近とされています。
次の松代王子(同市大野中)は、この絵図の左端、三上山西麓にえがかれていますが、日方川に架かる「松代橋」東詰にあったともいわれています。明治四十二(一九〇九)年、同王子は春日神社に合祀されました。現在は、松代橋から春日神社の参道を少し登った中腹に、小祠と紀州藩が建てた緑色片岩の「松代王子」の石碑が移されています。
三つ目の菩提房王子(同市大野中)も絵図にはえがかれていません。明治三十九(一九〇六)年の神社合祀令で同王子は春日神社に合祀され、熊野古道沿いの王子跡には小さな石仏が祀られています。
画=西村中和、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)
(ニュース和歌山/2023年7月8日更新)