絵は、江戸時代後期に有田で収穫したみかんを選果し、出荷の準備をしている風景です。
絵図では竹籠に入れたみかんを段々畑からオウゴ(天秤棒)で担いできて、庭の左側の小屋まで運んでいます。そこから台の上にみかんを取り出して大きさを選り分け、輸送用の籠に詰めています。
絵図の右下では、むしろを縦に三等分して四角いふたをつくり、みかんを詰めた籠を覆い、ふたを編み込んでいるようです。むしろはワラで作った敷き物ですが、こんな使い方があったんですね。左下ではふたに太平墨(松根を燃やして作る下級の墨)で各家の印を書いています。
出荷準備のできたみかん籠は、右側の小屋に七段に重ねて積んでいます。みんな忙しそうに働く様子は、現代の選果場といったところでしょうか。
紀州藩は蜜柑方という共同出荷組織を作り、みかんの販売を統制していました。みかん籠は、有田川河口の北湊(有田市港町)に集められ、ここから小舟で地ノ島(同市初島町)沖に停泊する大船に積み替え江戸へ送られました。
画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)
(ニュース和歌山/2023年11月11日更新)