小松原館跡に建つ湯川神社南側には、湯河直春の弟信春が出家し、文禄四(一五九五)年に開山した浄土真宗本願寺派の寺院、日高御坊(別院)があります。
その周囲に形成された寺内町が、「御坊」の地名の由来です。寺内町は、下川に囲まれて東町・中町・西町などにわかれ、そこには土蔵屋敷が現在も多く残っています。
絵には、江戸時代後期にあった日高御坊の伽藍全景がえがかれています。手前の東町の通りに面した「表門」(四脚門)、その右横に「太鼓楼」、中央に「本堂」、中町の通りには「うら門」(薬医門)があり、その場所に現存します。そのほか、境内には「鐘楼」「講場」「玄関」「台所」「茶所」「火番」長屋などの建物がありました。
また、江戸時代に商家が建ち並んでいた東町の通りから「表門」をくぐると、最初にイチョウの木が目に飛び込んできます。現在は樹齢四百年以上の立派な樹木になっていますが、当時はまだ二百年余の少し若い樹勢でした。
背景には、応神天皇らを祀る「薗八幡」(小竹八幡神社)の屋根と白馬山脈がみえています。
画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)