熊野古道は、南部町浜から同町片倉を経て千里王子(同町山内)まで、海岸沿いではなく段丘上をとおり、紀勢本線のガード下をくぐると、長さ一㌔㍍余の小さな千里浜に出ます。
千里王子は、その砂浜に面してありましたが、明治四十一(一九〇八)年、須賀神社(同町南部川)に合祀されました。現在、王子跡には千里王子神社の社殿が建っています。
そこから熊野古道は、段丘面を刻む谷川を遡り、地蔵堂のある南部峠に至ります。そして南部川の河谷へ降りると、河口には砂堆(砂州・砂丘)が発達しています。砂堆上には南部の集落が立地し、その北端に三鍋王子跡(同町北道)があります。
同王子は明治十(一八七七)年に須賀神社に合祀され、本殿の建物は鹿島神社(同町埴田)に移築されました。現在、同王子跡地には小祠が建てられています。
上の絵は江戸時代後期の南部宿の風景です。右には行灯に「日高屋」とある宿屋、中央には「松濤軒 岩代屋六兵衛」の看板を掲げる茶舗があり、来客や熊野古道を往来する人々で、賑やかな宿場町の様子が伝わってきます。
画=岩瀬広隆、彩色=芝田浩子
(関西大学非常勤講師 額田雅裕)
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今回で『熊野古道の風景』の連載は終了します。長らくご愛読いただき、ありがとうございました。
(ニュース和歌山/2024年11月9日更新)