一の橋を渡り、大手門をくぐって直進すると、大きな石で組まれた石垣に突き当たります。道はここから右に折れ、そしてまた、すぐに左に折れなければなりません。この屈曲した南寄りに「一中門」と呼ばれる大きな櫓門がありました。今では、地面に残る礎石の一部(現存は2個)が門の存在を伝えるに過ぎませんが、このような出入り口を「小口(こぐち)」と言います。大勢を一気に侵入させないように小さく造るからで、のち「虎口」と表記されるようになります。

 その「一中門」は非常に重要な位置にありました。政務の中心にあたる二ノ丸と本丸へ通じる表坂への分岐点にあたるからです。それゆえ敵の侵入への備えも万全でした。門前を屈曲(桝形)にすることで、敵を四方の石垣や櫓上から矢や鉄砲で攻撃できます。攻める側から見れば、大変危険な場所なのでむやみに近づくことはできません。「とても危険な場所を虎口(ここう)」と言ういわれが古代中国の故事があります。のちにこれを採用して「小口」を「虎口(こぐち)」と表記したと考えられます。

 また、この一中門西側の石垣には「鏡石」と呼ばれる大きな石があります。黒ずんでいるため見分けにくいですが、2㍍四方の平らな石で、周りの石と比べれば、その大きさが際立っているのが分かります。石の厚さはさほどないようですが、これを重厚に見せる石工の腕を感じます。

 本来鏡石は、災いや邪気を除けるために置かれたものですが、やがて権威や権力を大きいもので誇示する心理的な効果が強まり、城門脇など目立ったところに置かれるようになります。敵に対する備えの「桝形虎口」と共に、一中門辺りがどれだけ重要視されていたのかが分かります。(水島大二・日本城郭史学会委員)

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