慶長年間(1596〜1615)築城の多くには、石垣の中にいろんな刻印が見られます。和歌山城内には、約140種類、約2300個もの実に多くの刻印があります。東堀石垣(蔵ノ丸の堀側面)に189個、北堀に沿う二ノ丸櫓台に145個もの刻印が彫られていますが、中でも新裏坂西側の石垣には790個と突出した数を誇ります。
その石垣をつぶさに見てください。〇△□を組み合わせたものが最も多いのですが、絵模様のようなものもあります。また、城内で最も大きな刻印もありますが、今は苔で覆われて隠れています。
この石垣エリアは、浅野時代の外壁にあたるところなので、角度も急で高いのが特徴的ですが、何と言っても刻印の多いのが一番の特徴です。
刻印は、天下普請といって豊臣秀吉や徳川幕府が諸大名を動員して築城した場合は、どこの大名が築いた石垣かが分かるように、石に刻印を入れたと考えられています。その場合は、一ヵ所に同じ刻印が集中します。
しかし、和歌山城の場合は、いろいろな刻印があちらこちらに散らばっています。その理由は正直よく分かっていません。ただ、浅野時代に加太沖の虎島石切丁場で切り出した砂岩であることは判明しています。
虎島で切り出した石に、石工が自分たちの仕事の証に印を入れて、城下の石置き場まで運びます。その集められた石は、その後、築城地に運ばれて行きますが、その際、それぞれをバラバラの場所に運び置かれて、積み上げられたからではないかと考えられています。
この新裏坂西方の石垣エリアは、皆さんなりの新説が入り込む余地のある所かもしれませんね。 (水島大二・日本城郭史学会委員)
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