満足に教育を受ける機会に恵まれなかった人々の戦中戦後の経験を次世代に伝えようと、和歌山市善明寺の識字教室に通う生徒がそれぞれの経験を基にした紙芝居を作成し、地域で伝承活動に取り組んでいる。教室代表の山本はつ美さん(77)は「戦争は、人の命を何とも思わない、そんな心に慣らされる恐さがあります。最大の人権侵害で、それを身をもって知った人たちの声を届けたい」と目を輝かせている。
「字が読めないために悔しい経験をたくさんしたし、母の苦労も思い出します」──。涙ながらに紙芝居を読むのは同地区で生まれ育った楠見知代美さん(77)。父の戦死により幼少期は家の手伝いに追われ、学校へ行く時間もなかった。40歳まで住所が書けず、「病院や子どもの幼稚園で住所を求められても書くことができず、冷や汗ばかりでした」と振り返る。
紙芝居には、地区の山側にあった防空壕へ避難したことや、戦後の生活をつづった。小学校時代は家の手伝いや近所の農家で子守りをして働き、卒業前に街へ出稼ぎにでた。仕事が辛く、逃げ出そうとしたが、駅に書かれている文字が読めないために帰れず、トイレで一人泣き明かしたこともあった。「戦地から届いた父の骨箱は空っぽでした。『お父さんがいれば』と何度も思った。戦争がにくかった」と悔しさをにじませる。
紙芝居を作成した識字教室は、戦中戦後の混乱で文字を学べなかった人や、生涯学習の一環として訪れる71~86歳の約10人が集まる。人権学習や文字の練習、親ぼく会を開いており、戦後70年を迎えた昨年、「平和について考えてもらえるよう、自分たちにできることを」と紙芝居を作った。
「戦争に負けるのでは」と口にして憲兵に連行される市民、猛火に囲まれ、防火水槽の水を靴ですくって幼子に飲ませたが、それが末期の水になってしまった母親…。それぞれの経験や身近な人に聞いた話を33枚の絵と文にまとめた。
松岡弘子さん(80)は小学校で殺菌用の白い粉、DDTを頭にかけられた記憶を振り返り、「毎日風呂に入れず、制服についたシラミは熱湯に浸けて洗いました」。最年長の西本ユタカさん(86)は戦後、夫から聞いた南太平洋の戦地、ガダルカナル島の様子を語る。「ヤモリや昆虫など何でも食べたそうです。こんな悲惨な経験は子や孫の代にさせたくない」と強く願う。
これまで、識字教室の関係者が集まる研修会や地域の子ども会などで披露してきた。71年目の夏を迎えた今年、小学校でも発表する。山本さんは「時代が変わり、猟奇的な殺人や自殺を耳にしますが、改めて平和や命の重み、大切さを伝えていきたい」と決意を新たにしている。
写真=思いを込め描いた絵は見る人の目を引きつける
(ニュース和歌山2016年7月9日号掲載)