紀州藩5代藩主、徳川吉宗の将軍就任までの半生をつづった『紀州藩主 徳川吉宗─明君伝説・宝永地震・隠密御用』が11月、吉川弘文館から発行された。和歌山大学名誉教授の藤本清二郎さんが20年の研究成果をまとめた。藤本さんは「将軍になる前の歴史を本格的に扱った本はないに等しく、事実と違う認識も少なくない。この本をもとに、史実を知ってほしい」と話している。
藤本さんは1995年のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」に合わせ、和大の紀州経済史文化史研究所で展示会を開催。その時、和大が所蔵する紀州藩の家老三浦家の文書に、吉宗の幼少期・青年期の記述を見つけ、研究を始めた。今年、吉宗の将軍就任300年を記念し、市民向けの歴史図書として出版した。
同書は、吉宗の出世にまつわるエピソードの解明を試みた。将軍綱吉が江戸の紀州藩邸を訪れた際、吉宗は別室に留め置かれ、老中の助言で謁見(えっけん)が実現したとする話について、藤本さんは三浦家文書から、兄弟みなに刀が贈られ、謁見の機会が平等に設けられたと考えた。
注目したのは、城下町の警備を担っていた牢番頭の日記。岡山の時鐘堂の鐘は、一般に大坂の陣で使われた大砲を粉河で改鋳したと知られるが、日記では「中ノ嶋金屋にて鋳申し候」とあり、現在の和歌山市中之島地区で造られたと伝える。
藤本さんは「粉河での改鋳は、明治期の『南紀徳川史』によるもので、これは代々、鐘撞(つ)きを担ってきた家の言い伝え。日記はリアルタイムに記録されており、改変の可能性も低く、本町にあった鐘との混同では」とみる。
このほか、藩主時代に経験した飢饉(ききん)の教訓から、将軍就任後に薬草研究を奨励したこと、情報収集のために隠密御用として牢番頭を登用したことなど、若き日の吉宗の実像に迫った。
四六判、240㌻。1836円。県内主要書店で販売。
写真=20年の研究成果をまとめた藤本さん
(2016年12月7日号掲載)