世界遺産登録への活動振り返る
2004年の「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録を後押しした市民グループ「『熊野古道』を世界遺産に登録するプロジェクト準備会」の発足20周年フォーラムが12月24日、和歌山市内で開かれた。集まった市民85人を前に、運営委員代表の小野田真弓さん、辻林浩県世界遺産センター長らが、登録までの歩みと市民活動のあり方について語った。
まず、辻林センター長が、世界遺産登録に向け、県の担当職員だった当時、文化庁や奈良県、三重県と調整し、電線の地中化など文化的景観の復元に取り組んだことを振り返った。「1999年の南紀熊野体験博から本格的に部署ができ、県職員もまず歩くことから始めた。準備会は97年から歩く会などの活動を展開しており、登録に向けた動きは民間が先行していました」と懐かしんだ。
次に、本紙連載「わかやま滝物語」を執筆する大上敬史さん、本紙の林祐司記者らが「歩みたどった20年 創りあゆむ20年」をテーマに座談会を行った。大上さんは35年前、本紙記事をきっかけに熊野古道の写真を撮り始め、「古道は那智の滝や道沿いにある滝行に行くための道だったのでは」と考えを示した。また、滝物語に関連し、「古道沿いの地蔵に毎日花を供えるお年寄りがいた」と撮影時のエピソードを話すと、林記者は「高齢化が進み、古道沿いの文化が失われつつある。道の補修や観光施設の整備は大切だが、人の手で継いできた文化を守ることも必要」と強調した。
最後に小野田さんが「異なる宗教が共存する熊野古道を、世界の平和活動に生かそうと続けてきた。安珍清姫伝説の安珍も東北から熊野を訪れたように、祈りの道は東北から続いている。『熊野古道』ではなく、『熊野信仰』ととらえ、登録地を拡大し、世界への発信力を強めてゆきたい」と意気込みを語った。
写真=林記者(右端)らが意見を交わした
(ニュース和歌山/2018年1月6日更新)