能楽の魅力を伝える「小林観諷会」が創立100年を記念し、4月7日㊐午前9時半から、「観諷会 能と謡の会」を和歌山県民文化会館小ホールで開催する。和歌山市の観世流能楽師、小林慶三さん(87)の会で、小林さんの父・憲太郎さんが大正に立ち上げ、戦前から戦後と能楽を広めてきた。伝統文化に親しむ機会が減る中、子どもたちへ向けたワークショップに力を入れ、いにしえから続く芸能の未来をさらに開く。

大正に創立 小林観諷会〜親子2代伝統つなぐ

 創立は1920年、観世流で能を学んだ兵庫県出身の憲太郎さんが、プロの能楽師が不在だった和歌山を選んだ。慶三さんは父の薫陶を受け、幼いころから子方として舞台に立った。大学卒業後に京都の片山九郎右衛門に弟子入り。師範となり和歌山へ戻り、62年に会を継いだ。憲太郎さんが亡くなるまで、親子で別に弟子を取り、謡や仕舞の稽古をした。

 「父は昔ながらの能楽師。『違う』の一言で何も教えず、自分で考えねばならない。芸は見て盗むものとの考え方でした。私は理屈から説明する方で、皆さん、教え方が合う方を選んでいましたね」と小林さん。

 観世流の舞台で全国各地を飛び回る一方、和歌山での能楽の普及、定着に力を入れた。公演「能への招待」を県文で約10年続け、喜多流能楽師の松井彬さんと流派を越えて能楽鑑賞会を開いた。当時、異流と会を開くのに反対の声もあったが、「違いを含め、より能の面白さに触れてもらえる」と考えた。

 「戦前は読み、書き、そろばん。次に謡と教養の一つでした。戦時中にできなかった分、戦後しばらく人気は高かった」。和歌山県内でもかつらぎ、粉河、高野口、南は下津、御坊へと教えに回った。会員は多い時で80人を超え、発表会も春2回、秋2回行うほどだった。

 76年に日前宮薪能、99年に和歌の浦万葉薪能が始まり、地元でも出演機会が増えたが、バブル崩壊、そしてリーマンショックは大打撃となった。伝統文化に目を向ける人が減り、今なおその影響は尾を引いている。

 そんな中、小林さんは小学生への能のワークショップに力を入れる。夏休みの連続講座や、学校へも赴く。「正座や正しいあいさつと学校で教えられない日本の文化を伝えます。足運びなど普段と違う身体の使い方に興味を持ってくれますよ」。ワークショップをきっかけに会で本格的に能を習い、舞台を踏む若者も出てきた。

 会員の嶋晶子さん(63)は「母と姉、私と2代にわたりお世話になり、指導の熱心さがずっと変わらないのに感銘を受けます。先生と先生を支えてこられた奥様に感謝の気持ちでいっぱいです」。小林さんを講師に招き、能楽に触れる授業を行う和歌山大学教育学部の菅道子教授は「演者としてはもちろん、障害のある子どもも含め、どんな学習者にも能の魅力を伝える教育者としても第一級。そんな能楽師は全国どこを探してもおられません」と語る。

 創立100年記念の会で、小林さんは「高砂」「猩々(しょうじょう)」を披露。30代〜90代の弟子約30人が仕舞や謡を見せる。片山九郎右衛門さんの番外仕舞「高野物狂」もある。

 小林さんの妻、恵子さん(78)は「100年と気負い過ぎず、いつものように終わり、また続いてくれたらと思います」。小林さんは「文化が根付きにくい和歌山でよく続いてきたと思います。積み上げてきたことがおのずと変わる。能の進歩はそういうもの。その流れを続けてゆければ」と話している。

 無料。同会(073・422・9304)。

写真=会を引っぱって来た観世流能楽師の小林慶三さん

(ニュース和歌山/2019年3月30日更新)