球児が思いきりプレーするには、サポートが欠かせない。高野連審判員の土井淳宏さんは「野球への恩返し」を胸に、県大会はもとより甲子園、さらに大学、社会人の試合も裁く。一方、球場整備に力を注ぐのは野口修さん。各地のグラウンドを一からつくり上げてきた経験を元に、プレーしやすい環境を整える。それぞれのポジションで、球児の夏を懸命に支える。
正しいジャッジで信頼を
審判 土井淳宏さん
捕手の後ろに仁王立ちし、試合進行をサポートする。「正確なジャッジで、信頼してもらえる審判を目指しています」。ベテランになっても謙虚さを失わない。
小学生からキャッチャー一筋。球審と同じ目線で野球を見るポジションだ。「野球をするため」に高野山高校へ進学。甲子園はかなわなかったが、高野山大学で続けた。そこで部員による相互審判の試合を体験、「面白い」と魅力を感じた。
卒業後も社会人野球でプレーし、30歳になる年、念願の都市対抗野球に出場。これを花道に現役を退いた。
和歌山県高野連で審判を始めたのは、引退翌年の1996年。「野球に恩返しを」との思いで、公式戦はもとより練習試合、さらに大学や社会人の試合も担当し、以降、多い時で年間40~50試合ジャッジする生活へとつながった。
時にすごい選手やプレーを目の当たりにする。だが、その光景は引きずらない。「すぐ頭から消し、リセットして次の打者を迎える。そうでないと正確にジャッジできない」からだ。
甲子園には2007年夏から参加する。「せっかくの舞台、常時キビキビと動くなど学んだことを持ち帰り、生かしたい」との気持ちを絶やさない。
試合中、審判の持ち場は担当ベース付近だけに限らない。状況に応じ、球審が3塁へ、1塁審判がホームへ行くことがある。
「緊張してうまく動けない審判もいます。それをチームワークでカバーする。4人の審判が連携し、何ごともなく試合が終わる。楽しいと思えるのは、その瞬間」
正確にできて当然の世界。黒子に徹する審判が、ホッと笑顔を見せた。
イレギュラーのない球場に
グラウンド整備 野口修さん
紀三井寺球場に携わって約10年。前日、どんなに荒れていても、試合前にはグラウンドを見違えらせる。「いかにイレギュラーさせないようにできるか」との思いを込めて。
1970年代の箕島全盛期。初めてのグラウンドづくりは同高だった。図面通りに仕上げたが、黒土と混ぜた砂が粗く、当時の尾藤公監督にこっぴどくしかられた。
「砂が粗いと、ボールを縫う糸の傷みが早い。確かに傷だらけでした」
怒られたことは心に残った。以来、近畿、北陸で野球場やサッカー場、テニスコートを手がけ、腕を磨いた。
「グラウンドは水はけが命」が信念。地面を数10㌢掘り下げ、雨水が浸透しやすいよう、ぐり石や火山砂利を入れ、その上に砂と混ぜた土を敷き詰める。「地面の下からつくってきた」との自負があるからこそ、「どうすればうまく整備できるかは分かっている」と胸を張る。
紀三井寺球場について、「水はけは良い」と評価する。ただ、悩まされるのが、特有の風。海風がライトからレフト方向に吹きつける。土が飛ばされ、放っておくと3塁側が高くなってしまうのだ。
「芝生の間に入った土にホースで水をかけて飛ばします。盛り上がった土に芝の根がはってしまうと、低くできないので」。グラウンドを均等に保つため、日々の地道な作業が欠かせない。
グラウンドにいると、選手との距離が近くなる。印象に残るのは大阪桐蔭。試合後、ナイター練習を希望したため、「終わったら、ならしておいて」と言い残し、帰宅した。翌朝、隅から隅まできれいになっているのを見て、「トンボだけでここまでしたのか。一流チームは違う」と舌を巻いた。
一方、少年野球では保護者の整備する姿が気になる。「子どもにやらせればいい。練習、試合で使うグランドを自分たちでならせば、感謝の気持ちが生まれる」と思うからだ。
夏の大会を控え、「球児が悔いを残さないように」と、きょうもトンボを携えグラウンドを均等に仕上げようと、汗を流している。
(ニュース和歌山/2019年7月6日更新)